プロジェクト構想 その2

フォルクスハウス・インパクト


工務店にとってフォルクスハウスとは何だったのか? フォルクス以前と以後で何が変わったのか?

フォルクスハウスを初見した工務店の感想は「これで完成なの?」というものでした。あらわし(素地仕上げ)で針葉樹合板を用い、合板を打ちつける釘も隠しませんでした。飾り気がなく無愛想な表情を、私は「すっぴんの木の家」「木造打ち放し住宅」と名づけましたが、工務店にとっては驚きでしかなかったようです。

私は、オーギュスト・ペレが、パリ16区フランクリン街のアパートメントにおいて「コンクリート打ち放し住宅」をつくったとき、パリ市民から「まだ、未完成でしょ?」という質問を浴びせられたエピソードをメンバーに伝えました。ペレはまるで判で押したように、微笑みながら「これで完成さ」と言ったのでした。これを聞いた工務店は、当時のパリ市民の反応に似ていたように思います。

秋山東一は、建築材料を正直に用い、構造で必要なものだけで構成しました。素地仕上げの内壁材は、住み出すと気にならなくなり、歳月と共に飴色になって風合いがよくなることを分からせ狙いがありました。革命をやる奴は荒っぽいのです。当時、内装材といえばビニールクロスが多用されていました。ビニールクロスの家は、竣工した時が一番きれいで、年月を減ると、色があせて劣化します。

秋山さんの手法は、材料の用い方の上で、稲妻が走るような衝撃を与えたのでした。村田直子さんは、ニューヨーク・ソーホーの廃墟倉庫の見直しに似ているわね、と言いましたけど。

パリ・フランクリン通りのアパートメント
倉庫を改造したニューヨーク・ソーホーのペントハウス

しかしこの取り組みの本当の驚きは、実際に取り組んだ工務店からもたらされました。従来通りのプランニングと、ユーザーの注文をそのまま仕様として用いたものは美しくなく、ミスマッチが起こり、概してヘンテコなものになりました。けれども、秋山東一の設計メソッドである「ベースとゲヤ」「グリッドとモジュール」にしたがって躯体構造と仕上げがバランスよく構成されたものは、これまでにない住宅のカタチがそこに現出していることに工務店は目を見張りました。姫路・プレストの寶川一紀社長(当時)は、普段、沈着冷静な人ですが、昂奮の余り「これは住宅設計革命だ!」といいました。

もともと、建築に造詣の高い工務店社長であればあるほど、この驚きは大きく「設計にロジックがある」「言葉に文法があるように、住宅設計にもあるんだ」といった言葉が次々と飛び出しました。同じように昂奮したけど、それを一つの工務店システムに編み上げたのが鹿児島・シンケンの迫英徳でした。

秋山東一がいた頃の東京藝大は、吉村順三、吉田五十八、天野太郎、山本学治らの教授陣がいて、当時、奥村昭雄さんは兄貴分のような存在でした。秋山さんは余程勉強好きなのか、そこに何と6年間もいました。卒業後「塔の家」で知られる東孝光建築研究所に入所し、いきなり設計部長の役職を与えられました。「ものをよく知っている奴」と思われたのでしょう。戦後日本の疾風怒濤(シュトルム‐ウント‐ドラング)の建築家たちが第一線で設計し、その人たちが教師になり、育てられた時代に、優等生というのでなく、そこで奔馬のように育ったのがよかったように思います。兎角、優等生は杓子定規の垢に塗れます。しかし、何回も同じ講義を聞いて得られた教養は、有明海の貝類のようにしみ込み栄養として蓄えられました。私にはこの塩梅が、秋山東一を形づくったと思っています。

工務店は、工業高校建築科の出身者が多いのですが、学校教育の中で木造住宅をきちんと教えているところはないに等しく、実務教育の粋にとどまり、建築士の中で木造建築の設計が出来るのは50人に1人と言われます。それは即ち、一番身近である筈の住宅設計の弱さにつながっていているようです。秋山東一は、住宅設計の極意を小出しにしないで、身につけるべき設計言語として、全的に伝えられました。何が肝心なのか、本質なのか、工務店設計者はその気づきを与えられたのでした。

奥村式ソーラーの利用によって吹き抜けが増えたものの、「穴ぼこ吹き抜け」が見られました。秋山東一は、夜の交流会の席でこれを俎板(まないた)に乗せ「吹き抜けは壁に沿って立ち上げなきゃ」と言い放ちます。最近開かれている設計道場では、お酒に目のない秋山東一を囲んで、こうした金言を聞き出そうとする若手が多いのですが、秋山東一が繰り出すフレーズはきちっとした理屈に裏づけられており、それはしらふの場でやるべきことであり、「安売りしない方がいい」と私は申し上げているところです。安直に語って、分かったような若手を育ててはいけない、と。

工務店における、フォルクスハウスの受容のかたち

最初からフォルクスハウに取り組み、これを活用または参考にして自社の取り組みを進めた工務店の代表例として、鹿児島・シンケン(東の小澤建築工房共々)と、埼玉・小林建設が挙げられます。

この2社は、フォルクスハウスの影響を濃厚に受けながら、工務店としてのタイプは大きく異なります。ありていに言えば「受容のかたち」が違うのです。

前者は「プロダクト型・スペック重視型」であり、後者は「地域型・注文型」と言ってよいでしょう。鹿児島・シンケンについては、2016年の鹿児島での総会ニュースで深追いしました。私は、大熊半島の肝付町の古民家を訪ね、南側に開かれた南方型住居について紹介し、続いて北方圏住宅に括られるフォルクスハウスを、シンケンの迫社長が、鹿児島の伝統的なプランニングに置き換え、移植されたことについて書きました。

フォルクスハウスは、かの鎌田紀彦さんが開発された高断熱・高気密な軸組パネル構法をベースにした建物でした。当時、北海道で試作されたばかりの構法を、いきなり鹿児島へと運び込み、しかも迫社長は、それを南方型プランニングに捉え直して地域に提示されたのでした。

蒸暑に見舞われる南方型プランニングの特徴は、南面の開口部を大きく開くだけでなく、北側の開口部も大きくとることです。肝付町の古民家の写真はまさにそんなふうで、部屋も床下もスースーと風が抜けていました。本州を飛び越えて、高性能なパネル構法を採用することで、それまでの鹿児島の家になかった「快適の質」が得られ、それに奥村式ソーラーが加わって、高次な快適性の質が得られました。性能が問われるはるか以前、今から35年前の出来事です。進め方を巡って、こちら側に非がありましたが、鎌田さんと新住研のメンバーには、この事実と偉業を伝えたいと思います。

鹿児島・肝付町の古民家
部屋も床下も南から北に通り抜けています。
小林建築の構造に見る秋山メソッド

これに対して、埼玉・小林建築は写真に見るように、野物の松材を架け、伝統的な顔をしていますが、そのアトラクターはフォルクスハウスのグリット・ピッチにしたがっており、明瞭に秋山メソッドの方法が踏まれています。それは小林社長の、地元の秩父材を生かしたいという思いがあってのことで、これもまた、広義な意味でフォルクスハウスに括られていいと思います。

今回の「A2」プロジェクトでは、秋山メソッドの受容のかたちを広げ、地元ムク材を用いて建築します。フォルクスハウス当時を知る工務店にとっては、秋山メソッドといえば、集成材・メーターモジュールということでしたので、「ええっ?」と思われる人がいるかも知れません。

しかし、現在開かれている秋山東一の設計道場では、構造材や建物の仕様について語られることは少なく、もっぱら「即日設計」によるエスキス作成に特化されており、参加者の中には在来工構法で取り組んでいる工務店もありますので、今回のプロジェクトでは、さて今の時点で、秋山東一がどうムク材を扱うのか興味が尽きません。

一方、工務店業界にあってプロダクト化を計り、設計面でも、仕様面でも質的レベルを上げ、ハウスメーカーが居並ぶ総合住宅展示場において、20年間にわたって、モデルハウスを建て替えることなく保持し、個別的には彼らを凌ぐ業績を誇っているのが鹿児島・シンケンです。

工務店業界にあって、この存在は稀有であり、まだ年間数棟を建てていた時代を知る私は、よくぞここまで自己を引き上げられたと感心しています。しかし、商業的には「行列のできる工務店」として取り上げられるものの、経営・組織・技術思想・その建築メソッド(設計と施工)の全体を余すところなくまとめられた本は出ていません。私は、建築専門の出版社をはじめ、日本の建築ジャーナリズムは何しているのだと忿懣やるかたなく、秋山さんの本もそうですが、この不当な取り扱いに歯軋りしています。出さないなら出してやれ、と細腕を撫でているところでありますが・・・。

今回のプロジェクトを開始するにあたり、迫さんにお電話したところ、夜の9時から12時まで3時間も話し込みました。そして、広告に「秋山さんの建築美学は、シンケンの経営と建物を方向付けました。じっくり時間を掛けて、語り尽くしたいと考えています」という談話を掲載させていただくことになりました。「建築美学」という言葉を、迫さんが用いられたことに、こころが熱くなりました。大きな気宇を感じる言葉です。迫さんは、そういう思いを胸に秘めて仕事を重ねられてこられことを、私は電話の会話で初めて知りました。長いつき合いなのに、と自分の認識の甘さを反省しました。

談話にある最後の「語り尽くしたい」という言葉は、仕掛屋・小池の付け足しですが、このプロジェクトの「設計道場」(道を学ぶ場)において、「シンケン丸ごと一日」のカリキュラムを組ませていただきたいと考えています。よろしくお願いします。

そんななかから、有為ある人材が、工務店が生まれて来ることを、私は期待してやみません。

モジュールとグリッドについて

「フォルクスハウス」と「Be-h@us」のモジュールは、メーターモジュールが採用されました。

モジュールとは、建築用語では設計上の基準となる基本寸法をいいます。日本では「尺モジュール」「メーターモジュール」があります。メーターモジュールは、柱間等の基準が1000mmをいうモジュールです。一方、尺モジュールの基本単位は910㎜=3尺ですが、京間・江戸間・中京間・団地間によって異なります。柱サイズ(壁厚)によって、柱芯(柱間隔)の寸法が異なるからです。

京間(本間)は畳サイズが6.3尺×3.15尺(1910mm×955mm)の「畳割り」で寸法を決めます。秋山東一は、吉村順三がいったという「京間の八畳が一番いい広さ」にしたがい、フォルクスハウスにおいては、それに近いメーターモジュールを採用しました。

メーターモジュールがいいのは、廊下やトイレ、階段の幅が最初から広く設計できることです。しかし、メーターモジュールに対応した建材は流通量が少ないことと、木取りが悪いので尺モジュールより割高になります。ブリコラージュの考えからすれば、地域で一般的に流通している材を適切に用いるのがいいので、今回、これをどう扱うかについて、快適性・空間機能性から、また地域性とコストの側からも検証を深めたいところで、私は「設計道場」をそのラウンドテーブルにしたいと考えています。

最近、モジュールについては、情報工学や生産工学の分野でも、部品的機能と交換可能な構成要素の上からテーマとして取り上げられています。もともとモジュールは、尺度、測定基準、規範などを決める要素設計の基本概念であり、歯車の大きさを表す値、装置や機械、コンピュータープログラムなどの構成する部分、宇宙船の母船から切り離すことができ、単独で活動できるユニットであったり、教育での学習時間を分割した単位とされてきました。建築だけの話でないのです。

今回、モジュールについて調べていて、歯車の大きさを表す単位もモジュールといわれていることを知りました。歯車の周りについたギザギザした部分の大きさを表す単位をいうそうです。円状の歯車の周囲は歯が付いていて、別の歯車の歯とかみ合うことにより動力がほかに伝えます。その歯車の直径を歯車の数で割った数値をモジュールで表します。例えば歯車の直径が50㎜で歯の数が10枚なら、そのモジュールは50÷10=5で「モジュール5㎜」を表します。

ここにおいてモジュールは、一つの「機能」であったり、「寸法」や「単位」だったりと様々な意味を持たされています。これらに共通しているのは、モジュールはあくまで一つの単位ということです。製品は、多数の部品で構成されますが、その各部品をモジュール化することで、より顧客のニーズに合わせた商品づくりが可能になり、製品の変更を製品全体で行うのではなくモジュール単位で変更することで、能率的な商品を作ることができるようになるといいます。

コンピュータープログラムにおいては、モジュールはプログラミングの1パーツです。しかし、それだけでは機能しません。モジュールとほかのモジュールを組み合わせてファイルとしてまとめ、さらにファイルを組み合わせていくことでプログラムが作られます。つまりモジュールは、プログラムの一部として組み込まれたときに初めて機能を得られるのです。

我々のプロジェクトにおいても、これからの建築を考える上でモジュールをどう考えるか、扱うかが一つのキーワードになると思われます。地域によって、工務店によって、建築家によって複雑に異なるモジュールをテーブルに乗せ、結論が出なければ両論を、このプロジェクトでまとめる「アースカタログ」に併記したいところです。

文 小池一三