プロジェクト構想 その4
今回のプロジェクトの目玉は、何と言っても秋山東一が「建売住宅」の設計をすることです。
それは「普通の家(定番となる家)」を設計する、ということです。
今回、秋山東一は「里山のある町角」の一角に建つ家を設計します。この建物は、期間限定で見学できる建物であり、開催中または事後に売却される建売住宅です。その性格上、「建築家でござい」で、お金をふんだんに掛けて建てられません。建売住宅は、コストの制約を強いられます。
フォルクスハウを開始するとき、秋山東一はアントニン・レーモンド(Antonin Raymond, 1888年-1976年、建築家)の「五つの原則(プリンシプル)」を掲げました。
1.自然(Nature)
ナチュラルではなく、ネーチャー。大文字の自然。太陽とか、風とか、緑とか、大きな自然力を家に求めるべき。建築材料は親しみやすい、小文字の自然の素材がいい。
2.単純(Simple)
西洋人のいう装飾とは反対に、日本にあるのは、必要が生み出した美である。すべてを取り去ったとき、残る本質と原理が、日本の家の魅力の源である。
3.直截(Direct)
簡素な、飾りがなくて明快な家。自然は人工よりも美しい。簡素と軽快は複雑より美しい。節約は浪費よりも美しい結果を生む。
4. 正直(Honest)
着ぶくれした家ではなくて、正直で、律義で、さっぱりした家。構造自体が仕上げであり、同時に唯一の飾り。キノコや木のように、大地から生まれた家。
5. 経済性(Economy)
経済性とは、決して安くつくることではない。何事もムダにしないということだ。値段の高い器具だから「高級」ではない。本質を見極めることが、ほんとうの高級。
どれ一つ取り出しても奥の深い言葉だけど、このなかで5つ目の経済性は、極めて具体性を帯びた事柄であるが故に、絶えず設計者と現場を悩ませます。
私はそこで、フォルクスハウスは「実質価値の高い家を、手頃な価格で」というフレーズを用いて、それを表しました。けれども、どの建築費までを「手頃」と言うのか、簡単な話ではありませんでした。
シンプルな設計だから安くなる、と言うものではありません。シンプルだけど、建築家が引いた1本の線が、ひどく手間を要して高くなることが多々あるからです。
そこで想起されるのは、フランク・ロイド・ライトの「ユーソニアンハウス」です。
ライトは「アメリカにとって一番重要な問題は、路傍の住宅だ」と言いました。その辺の普通の家が重要事なのだと・・・。
Webびおに連載された、半田雅俊さんの記事を引用しながら、改めて、ライトのユーソニアンハウスを紹介しましょう。半田さんは、ライトのタリアセンイーストと、タリアセンウエスト (冬は砂漠のアリゾナに、夏はシカゴに近いウイスコンシン州マディソン郊外に事務所と生活根拠地を移動しながら設計活動を行った場所。毎年、繰り返される移動はめいめいが三々五々に行われたこと、新人は、アリゾナの砂漠で自らテントを張り、サソリが出没し、夜半にコヨーテの鳴き声を聞きながら過ごしたことなどなどを半田さんからお聞きしました) に学んだ方です。半田さんが入所された時は、もうライトはなくなっていましたが、その遺訓は事務所員の中に脈々と流れていました。半田さんの「びおハウスH」は、そんな師匠の遺訓が頭にあって取り組まれました。
ユーソニアンハウスは、大恐慌時の1937年に建てられたJacobs邸に始まり58あまり建てられました。第1作は、若い新聞記者ジェイコブスが、ライトにローコスト住宅を依頼してきたことにはじまります。若い新聞記者の建築予算に対応するため、ライトは簡略化された構法を開発し、ローコストとハイクオリティの両立を目指したものですが、われわれの「定番」もまた、この「ローコストとハイクオリティの両立」にあります。というより、それはベーシックハウスの大原則と言えましょう。
ライトは精力的にこの小住宅に取り組み、ジェイコブス邸のために250枚もの図面を起こしました。その1枚が、ここに載せた基礎断面図です。ジェイコブス邸は、札幌とほぼ同じ緯度にあるので、冬は地面が凍り霜で基礎が持ち上げられることが起こることから、基礎を凍結深度以下に深くする必要があります。ライトは基礎の下に排水パイプを埋め込んで凍結による被害を防ぎました。お金のかかる深い基礎と地下室を廃止し、快適な暖房方法と大幅なコストダウンの両方を実現したのです。
タリアセンには、膨大な図面が残されていますが、遠藤楽さんと一緒に、その図面庫に入ることができた奥村昭雄は、聞きしに勝る図面の数に驚き、夜遅くまで魅入ったという話を聞きました。
Pew邸は森に囲まれた湖岸の斜面に建っています。ユーソニアンハウスで数少ない2階建です。
斜面に石積みの基部を造り、木造部分を湖側にはり出させて眺望とプライバシーを確保しました。湖畔の外周道路から湖に向かってアプローチを下り、湖をちらっと見ながら家に入れるアプローチです。
「定番」だからといって、土地を考慮しないで不用意に建ててはなりません。秋山東一の「設計道場」が「即日設計」のエスキスにこだわるのは、敷地に立ち素早く素案をまとめることを、幾度も繰り返えすことで、しっかりと身に覚えさせるためです。プロ野球キャンプの反復ノックのようなものです。
ライトのPew邸は、設計されたのは80年も前ですが、現在でもそのまま通用する時代を先取りした平面計画だと半田さんは言います。
最初にOMソーラーのセミナーを開いたとき、私は「日本でユーソニアンハウスのようなことをやりたい」と提案しました。OM研究所の面々は、私を見て「大胆なことを言うなぁ」と笑いました。何も
知らない奴、と思われたようです。言い換えると、それは建築家なら誰もが考える見果てぬ夢ですが、言うは易く行い難し、知らぬが仏という性格のものでした。
しかしその数年後、秋山東一と菅波貞夫と私の3人(傍に書記的な役割を担う、若き村田直子さんがいました)で語り合い、つよい約束のしるしにと、札幌の北海道庁旧本庁舎の前で記念写真を撮り、フォルクスハウスの取り組みを始めたのでした。4人ともに若かったですね。
その後、フォルクスハウスは、A.秋山東一を皮切りに、B.石田信男、C.三澤康彦、E.半田雅俊・稲田豊作、F.郡祐美・遠藤敏也によって取り組まれ一大運動へと発展しました。
秋山東一の取り組みは「Be-h@us」に発展し、三澤康彦はJパネルによってそれを発展させ、半田雅俊と稲田豊作の取り組みは「びおハウスH」「ドミノハウス」へと引き継がれました。
また、町工ネットにおいては、半田雅俊の「びおハウスH」のほか、趙海光の「現代町家」、村松篤の「びお森の家」などを立ち上げました。さらには、「里山住宅博」での堀部安嗣・松澤穣のヴァンガードハウスの試みがあり、伊礼智による「i-works」の取り組みも、その一環のものと私は解しています。そうして今回、意気込み高く「A2」プロジェクトを開始しようというのです。
日本と世界のベーシック建築運動
日本における、戦後のベーシックハウスの歴史は、前川國男・吉村順三・清家清・広瀬鎌二・池辺陽・増沢恂など、錚々たる建築家によって担われました。
増沢恂が自邸で行った「最小限住居」と池辺陽・広瀬鎌二のものは一定の広がりを持ちましたが、ほとんどは一戸だけ、あるいは記念的碑作品に終始しています。
池辺陽は1950年に「立体最小限住宅」を発表しましたが、そのプランを見ていて気づいたのは、どの家にも書斎があることでした。戦後の家不足時代なので、書斎を必要とする人は少なく、「最小限住宅」に構成されるスペースと言い難いものなので不思議でしたが、当時、池辺は東大助手を勤めていましたので、「ははーん!」とピンとくるものがありました。それは自分と身近な同僚のための身辺的なプランだったんだ、ということでした。
通念的に言うと、ベーシックハウスなるものは、普段、高価格の住宅を設計している建築家が「庶民の家」を設計したときに取り上げられるもので、そうでないもの、たとえば若い建築家によるものや、工務店によるものなどは対象の外に置かれてきました。それが普段の仕事であるわけだから・・・。
しかし、このこと自体建築家批判に当たることでなく、その試みは世界の住宅を大きく変える役割を果たしました。バウハウスのヴァルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトなどの取り組みは、世界の建築史に特記されるべき事績です。日本でも、これら建築家の啓発的な取り組みが、大きな教育的効果を生みました。
神戸住宅博でヴァンガードハウスに取り組んだ堀部安嗣は、後に好著『住まいの基本を考える』(新潮社刊)を著しますが、堀部にとってベーシックハウスは、建築費が高い、安いではなく、まさに「住まいの基本」であって、全ての設計活動の貫通する考え方であることを記しました。それは国内外の建築家によるベーシックハウスの根幹を成すものだと私は受け止めています。
しかし、建築家によるベーシックハウスは、作家性が重んじられるので、普通の家に使える一般解と言い難いものが占めています。殊に、町場の工務店と一緒になってやる例は少なく、持続的に、運動として取り組まれた例は、わずかに奥村昭雄のOMソーラーや、荒谷登、鎌田紀彦による高断熱・高気密住宅の取り組みなど、技術分野に限られていました。
この点で、フォルクスハウス以降の取り組みは特筆されるべきことと言えるのではないでしょうか。秋山東一のフォルクスハウスの取り組みは、直伝・亜流のものを含めると、その数はおよそ5000棟を超えると見てよいでしょう。これは建築家と工務店によるベーシックハウスの取り組みとしては空前絶後のものです。奥村昭雄の空気集熱式ソーラーは住宅だけで2万戸を超え、また鎌田紀彦に率いられた高断熱・高気密住宅は、今や全国各地で取り組まれています。
奥村昭雄と一緒にOMソーラーを開始したとき、奥村昭雄は真顔で「小池さんね、僕が考えたシステムで、もし20戸も実現されたら、それは革命だよ」と言いました。パッシブシステムは、好事家の世界のものであって、この時点では、世界のいずれのパッシブシステムも特殊解のものだったのです。
「A2」プロジェクトの建築事業
そこで「A2」プロジェクトですが、まず、このネーミングを付けた理由から説明します。
経緯からみて、秋山東一によって考案されたフォルクスハウスは「A」ナンバーでありました。しかし、フォルクスハウスAはOMソーラーの商標に掛かるものなので、その延長線に置かないでください。もともとAそのものの著作権は秋山東一に属します。その秋山自身が新たに取り組むプロジェクトが、「Aの二乗=A2」と位置づけました。私はそれを「A2」とネーミングとしました。
当然、フォルクスハウスという冠はつけません。別物です。「A2」プロジェクトの建物というネーミングで、多くの人に愛されるものにしましょう。
アルファベットでは、Aの次はBです。秋山東一がフォルクスハウス後のものを、「Be-h@us」と名づけた理由は「A」の継続性であり発展形ということが頭にありました。「Be-h@us」は、今ほどではありませんが、コンピュータ・ネットワークを用い、DIYで住宅を生もうという意図を持って開始されました。しかし、それを実現するための運動と組織態勢を持たなかったため、竜頭蛇尾の結果を招きました。しかしそれは、秋山東一にとって見果てぬ夢であり、尋常でない悔しさとして思い残されているものと推量されます。私は、力になれなかった自分を悔いています。
しかし、これからを想定すると、この着想はいずれ蘇るものと思われます。今回の「A2」の取り組みの中から、私は「B2」が生まれる予感を持っています。「A2」の計画において、秋山東一が意欲を持っている小屋づくりは、DIYでやれることですから、手始めにそこから開始すれば、実現可能性を持っています。焦らずに、着実に積み重ねていくことです。
この項の冒頭に述べたように、今回、秋山東一は建売住宅の予算の中で、「定番」モデルを自ら設計します。参加者は、その設計過程に参加し、設計道場においてエスキスに取り組み、他のメンバーのもの、そして秋山東一のものも見ながら、自分との違いを通じて多々学べることがあります。今回は、計画だけでなく、実施建築なので、工事の過程を通じても学ぶことができます。
そこで得られたヒントの数々を自社の取り組みに活かし、それぞれ自社の「定番」として生み出せたら、このプロジェクトが目的とするところを叶えることができます。
今回、施工を担当する入政建築は、町工ネットの創立期からのメンバーであり、町工ネットの有力な「定番」モデルになることを期待して、「町の工務店憲章」のイメージ・キャラクターである「ククルくん一家」のうちからククルくんを取り出し、「ククルくんの家」と呼ぶことにしました。今後、この一家の個々の名前は、町工ネットの全国各地の「定番」のネーミングとして、「憲章」と共に、多くの人に愛され、ひんぱんに用いられることを念頭において名づけました。
今回、計画しているククルくんの家には、一家はお父さんのソール、お母さんのマーレ、妹のリーナが一緒に住んでいます。また、同じ敷地内の別棟にナウタ爺ちゃんとぺンナ婆ちゃんが住んでいますが、時々、みんなで食事します。左のイラストは、そんな光景を描いたものです。右のイラストは、太陽と小
鳥と、切り株を椅子にして坐っているククルくんを描いています。ここには出ていませんが、この他に、おじいちゃん・おばあちゃんのお友達のボスコがいます。ボスコは森の精です。ボスコはいろいろな用い方が出来ます。例えば、もう何年も住んでいる家の柱や梁にも、森の精として生きているとか。また、ご近所の大工さんや、農家のおじさんや娘さん、郵便配達の若者など、これからさまざまなキャラクターを生んでいく予定でいます。
秋山東一さんは、イラストの名手です。その絵は、ダイナミックな筆致で世界を引き寄せます。この秋山さんの絵の中に、添田あきさんが描くククル一家の絵をおくと、双方が引き立つのではないかと考えました。と言うわけで、今回、お二人に頑張ってもらって、宇刈の家の物語を、一冊の絵本にしたいと考えています。私は、シンケンの迫さんから依頼されている絵本に3年越しで取り組んでいますが、まだものになっていません。目下、悩みの種です。今回のものをやることで、これまでと異なる着想を得られたらと考えて取り組んでいるところです。シンケン絵本は、もう少し待ってください。
ククルくんの家の建築場所は、町工ネットの工務店が出展を予定している浜松近郊の「里山のある町角in宇刈」(土地計画のランドスケープ・デザインは田瀬理夫さん)です。
竣工の予定は、1年後の2022年の春です。このプロジェクトは「ククルくんの家」の設計と工事の全過程を通して、最初の計画から竣工、さらには入居後も取り上げ、検証の対象とし、その年の11月までの期間限定のプロジェクトになります。
設計助手を務めるのは入政建築の新野恵一さん。また、元OM設計部長の平野泰章(平野建築工房建築環境研究所)さんと、村田直子(MOON設計)さんの2人を加えた設計チームにより、後述の「設計塾」のテキストとなる設計図書を作成していただきます。さらには、事後、秋山東一さんの設計を活かして、自社の「定番」づくりを考えたいという工務店に対しては、引き続き、このチームが担当させていただく予定を立てています。お気軽に声を掛けてください。
町工ネットにとって「定番」は、一元的・画一的なものでなく、地域と敷地に対する視点を欠かせません。プロジェクト参加者は他の座学で学ぶことを含め、何を、どう進めるべきなのか、大きな視野に立って考え、コロナ後を見通せるものを生んでいただきたいと念じています。
そのような考えのもとに、今、準備をすすめているところです。
文 小池一三