プロジェクト構想 その5
今回、秋山東一の住宅計画と共に、「里山のある町角」のランドスケープを、田瀬理夫から学びます。
「里山住宅博」の反省に立って
「里山住宅博in神戸」と「inつくば」は、住宅業界で大きな話題となり、全国から何千人もの人が見学に訪れ、現地での住宅セミナーも何回か開かれ、大勢の参加者を数えました。この住宅博は、私がプロデュサーを務め、田瀬理夫がランドスケープを担当しました。
けれども、私にも田瀬にも、この二つの取り組みに関して思い残しがあります。
一つは、もともと計画用地がURの開発用地であり、神戸の場合はURによる造成手法による区画割とコンクリート擁壁によってガチガチに固められていました。田瀬がやれたことは各戸の緑化計画を統一外構として実施し、存分にとは言えないけれど、広大な里山部分の計画に取り組めたことでした。
「inつくば」は計画段階で、主要メンバー間でコンセプトと計画・方法をめぐって齟齬が生じ、プロデュースを務めた私は、途中で会話ができなくなったことから一番重要な期間に離れていました。オープン間際の2ヶ月前に呼び戻され、そこからプロモーション面で役割を果たすことになりました。私が見るところ、大きなコモンを設けたものの、建築計画がそれを生かし切れておらず、田瀬がランドスケープしたイーズメント計画も有効に働きませんでした。
当事者が、このようなことをいうのはご法度でありますが、閉幕から1年半を経過し、日本の郊外居住の将来のために書いておかねば、ということで筆を取りました。それぞれに言い分があることであり、誰それを非難するわけでありませんが、私はこの経験から、相互に共有できるものがなければ、もうニュータウンと呼ばれる規模の大きな計画に取り組まないことにしました。
大きな規模のものは、土地をまとめ、事業計画の段階で理想は地に落ち、現実だけが優先するようになり、結果、消耗戦を強いられます。経済性を無視してやれるものでないことは百も承知しておりますが、従来的な区画手法による団地は、これからの日本の郊外居住を考えても、もう限界に来ています。
それでも、二つの住宅博の土地は完売されました。しかし、都市郊外のスプロール(虫喰い化)と、その結果として空き家の増加を招いており、従来的な手法によるもののほとんどは、将来の空き家予備群になるのではと危惧されます。
日本の大都市郊外・周縁部で起こっていること
ロンドンの都市計画の概要図を載せました。ロンドン市街と郊外居住を分けるのは20kmもの幅を持つグリーンロードです。レッチワースなどの郊外居住・田園都市は、その外に展開されました。このあり方は、実は日本の調整区域制定モデルとされましたが、都市周辺の自治体は、都市化から取り残されまいとスプロール(虫喰い化)に手を貸し、今の惨状を生んでいます。郊外居住は、永らく日本では「ベッドタウン」(寝に帰る街)と呼ばれてきましたが、この言葉に、私はある種の哀しさを誘われます。
2018年4月に、国は都市計画法を改正し、13番目の用途地域として田園居住を通しましたが、制度設計が出来ておらず、現状、この法律は生きていません。法律の制定の背景には、上表に見る「農家就業者数と農家数の推移」と「耕作放棄地の推移」に見るように、都市周辺の崩壊が横たわっています。 大都市部は、過密化・高層化・コンクリート化・ヒートアイランド化が進行し、都市郊外は「土地持ち非農家」が増加し、農村人口の現象を招いているのです。農林省は専業農家主義を抜け出せず、セルフ農業の成果は食料自給率にカウントされず、国交省は「生産緑地」の22年問題を抱えています。
「里山住宅博」から「里山のある町角」へ
–「オン・ステージ」から「オン・ザ・コーナー」へ
郊外だからこうだ、という意思を持たないと、この現実は変わらないのでは、というのが私の見立てです。今の郊外団地の多くは、「この程度の予算だからこの程度でいい」という底の浅い建物が多く、土地の扱い方も、家作も、およそ吟味ということを欠いているものが多くを占めています。
小さな窓ばかりの建物の北側、その下にエアコン室外機が置かれ、この家の北側の家は、この鬱陶しい光景を見て暮らさなければなりません。そのためか、北側に置かれた家は、南側に窓があってもカーテンで閉じられて開き放たれることがなく、庭に出て家族が遊ぶ姿も見られません。車に家族が乗り込んで買い物に出掛ける姿はよく見掛けますが・・・。
これが現在、全国各地で起こっている都市近郊の住宅に見られる姿、カタチではないでしょうか。これらの郊外住宅は、ただ単に予算がないからと、「遠隔」を強いられているだけで、郊外に住む歓びを満喫している家はほとんど見掛けません。
もし今の都市が救われるとしたら、豊かな住生活を田園居住で示し、それを都市に取り入れる流れを生むことをおいて他ないと考えています。そこにしか希望はありません。
今の都市住民は便利さがお気に入りですから、それをすぐに捨てることはないでしょう。けれども、コロナ禍による感染は都市部に集中しており、ヒートアイランドによる夏の熱中症も都市部に寄っています。土地は狭く、高く、文化生活や便利さと引き換えに多大の犠牲を強いられ、首都圏や政令指定都市、地方の中核都市に至るまで、住まうことの幸福度では潜在的に不満を持っている人が増えています。
空き家は、地方の問題と考えられていますが、市区町村別の「空き家数ランキング」のベストテンは、1位・東京都世田谷区49,070戸、2位・東京都大田区48,080戸、3位・鹿児島市47,100戸、4位・東大阪市44,180戸、5位・宇都宮市44,050戸、6位・東京都足立区39,530戸、7位・大阪府吹田市38,540戸、8位・松山市38,360戸、9位・岐阜市38,320戸、10位・兵庫県尼崎市37,130戸(2018年時点/日本経済新聞データ)です。空き家率では、地方の過疎地となりますが、空き家数で見ると都市部になるのです。それにしても、東京山手の世田谷区が1位、大阪の吹田が7位というのは驚きです。より良い住まいを求めて引っ越しする人がいたとしても、世田谷区に住みたい人は多いのに、空き家になったからと言って、すぐに埋まるわけではないようです。魅力のない空き家は滞留するようです。
大都市部では、通勤・通学など移動に要する時間が掛かります。しかし、地方都市では、車で20分程度走れば郊外に出られます。さらにそこから5分〜10分程度足を延ばせば「田園郊外」「里山風景」が散見されます。しかし、ユーザーにとっても、計画側にとっても、この5分〜10分程度が高いハードルになっています。このハードルを越えさえすれば土地代は格安になり、その分、広い土地を求められ、敷地内にキッチン畑を設けたりする余裕が生まれます。
環境破壊を防ぐための国土利用計画法による規制もあり、土地造成費・電気・上下水道などが高くつくことも作用していますが、ひたひたと郊外を侵食している「安かろう・悪かろう」の建売住宅のこれ以上の横暴を拒み、よきものを生もうという意思の欠如が、目下、いちばんの障害ではないでしょうか。
つまりこの取り組みは、「安かろう・悪かろう」前線の外延化を食い止め、その前線から少しだけ足を延ばした地点を対象とし、そこに「別天地を生もう!」という意志によって支えられ、成立を見るのであって、当面それは「特殊解」であるけれど、この取り組みが持つインパクトが、人から人へと語られ、その伝播力が、ひいては都市住宅を変えていくきっかけとなるのではないかという淡い期待、あまりにも淡い期待を、私は持っているのです。今は、信じればあるし、信じなければない話でありますが・・・。
それを私は、「里山がある町角」と呼んでいます。この「里山がある町角」の土地選びには、次の4つのポイントがあります。
- 1. 小さな規模がいい、という発想に立つこと。土地を大きくまとめようとしないこと。
土地を大きくまとめようとすると時間が掛かり・土地の取得資金が大きくなり・売れない場合のリスクも大きくなります。日本の農地は、稲作を主とし、戦前の小作制度と戦後の農地改革の尾っぽを引きずっていて、小割に分割された土地が多いという性格を持っています。農家は、この土地は水田に、この土地は野菜にと用途を考えながらやってきました。
農水省が、農業の近代化を掲げ、大規模化・株式会社化などを打ち出すものの、土地の集約が容易でないのは、歴史的に形成された事情を持っているからです。
今、私が通っている町は、次郎柿の発祥の地として知られる町で、お茶の産地でもあります。しかしこの柿畑と茶畑は、見渡すところ一面にというものでありません。所有もバラバラであることを伺わせます。この場合、それをまとめようとしないことが肝要です。その畑と畑の間に、全体の風景を壊すことなく、畑のある風景を生かしつつ、そのなかに数軒の民家が、いい佇まいを持って建っているのがいいと考えます。それが田園・里山居住の基本的な姿です。
- 2. 平たくいうなら、もうニュータウンをつくらない、という決意に立つこと。
今ある風景を守り、空き家の民家があれば、それをリノベーションし、修景しながら、そこに何軒かの新築の家を加えていく、というやり方を旨とします。そんな小さな集落をちりばめ、その重なりが、その総合が、美しい地域景観を生んでいくというあり方です。
私が通っている町は、町村合併をやらなかった町で、周辺の町に広いロードが生まれ、全国どこにも見られるロードショップが建っている光景から見れば、「周回遅れ」の観を否めません。ハウスメーカーと思しき建物が少ない町でもあって、それは私にとって、逆にこの町が明日のトップランナーになり得る要件を有した地域と思われます。今あるものと、修景されていく町並み・家並みが、この〈まち〉のアイデンティティになれば「差別化」され、「私が住みたい町」にランク入りすることでしょう。
- 3. 意識的に難点のある土地に目をつけ、土地の素地原価を抑えること。
これまで不動産業者は、効率的な区画割ができるか、造成費が低く抑えられるかに神経を注いできましたが、「人の行く裏に道あり花の山」という見方を持ち、地型が悪くて非効率と思しき土地に目を向け、そこにおもしろさを見出せる眼力を持ちたいと思います。
誰も手を出さないような土地に目をつけることです。これは危険性と紙一枚の話でもあって、「儲かる!」という悪魔の囁きに魂を奪われてはなりません。よき土地に転化できるという見通し、その姿がありありと思い浮かび、かつ方法的・採算的にも成り立つものとして計画されなければなりません。
- 4. 土地計画にあたっては効率的であるより、「無用の用」や、いい感じを大事にすること。
土地計画にあたっては、区画をいくつ取れるかに頭を奪われがちです。売値から逆算して、計画の安全性を担保したいと考えるのが常ですが、住まいに「無用の用」が大事なように、土地計画においても、それを見出せるかどうかが重要です。区画をいくつ取れるかに頭が向いていると、「無用」なものは視界から消え、結局ありきたりな、つまらない計画に堕してしまいます。いい感じを大事にする「蛮勇引力の法則」(造語です)を尊ぶことです。
この辺りのノウハウは、設計道場にて開陳させていただきますが、これを読んだだけで「商売になりそうだ」と早とちりするのは禁物です。昨今の工務店は「パクリといいとこ取り」が横行していますが、私は盗めるなら盗めと考えています。本当に「盗む」のは簡単ではありませんので・・・。
所詮、年寄りは「踏まれ石」になることで、次世代の人たちに継ぐ役割を負っているのであり、ただ寝食を忘れて創造的想像力を働かせ、長い時間を掛けて生み出されたものに対して、せめて敬意は払われるべきことと思われます。若者よ、秋山東一や田瀬理夫を野垂れ死させてはなりません。活かすことです。言えることは、この取り組みでの一番の大変は、案件を「里山のある町角」として計画できるかどうかにあります。これは単に勘がいいとか、商魂があれば、いうことでやれるものではありません。秋山メソッドと同じように、しっかり勉強しなければ身につきません。
悲憤慷慨を鳴らす一老人が、言わずもがなを申し上げました。お赦しください。
設計道場で、田瀬理夫に学ぼう!
この指導を「里山住宅博」でランドスケープを担当された田瀬理夫さんにお願いしました。永田昌民さんと、晩年コンビを組まれた造園家です。
田瀬理夫は、NHKの番組『美の壺』で「空中の庭園」として取り上げられた、「アクロス福岡」の作庭家として知られ、ゆりが丘ヴィレッジ(神奈川県)で、「日本建築家協会25年賞」を受賞されています。この賞は、四半世紀前に造られた建築物を検証し、時間に耐え、今も設計のクオリティが保持されているものに与えられる賞です。
画像:ゆりヶ丘ヴィレッジ 住宅建築 No.477 より抜粋
「野草に目覚めよ!」
— 草花の絶滅危惧種と「一坪里山」
環境省が発行している「レッドリスト (2020年)」には、植物等において2270種類の絶滅危惧種がリストされています。「里山住宅博」を開催した兵庫県は、2003年の調査では785種類でしたが、2020年には、1042種類に増えています。わずかな間に257種類も増えました。それはそのまま、われわれの身近な環境の劣化を意味しています。全国の絶滅危惧種の中には、キキョウやリンドウなど、馴染み深い草花が含まれる地域もあります。サッカーのなでしこは知っていても、野に咲くなでしこを見た人は少ないのです。
田瀬さんは、最近の都市で顕著なのは、日照不足・水分不足・水分過多による土壌劣化だと言います。加えて、化学肥料過多・薬剤投与過多による土壌生物環境の劣化をあげました。日照を蓄熱するベイプ(夏暑く、冬冷たいコンクリートやアスファルト舗装)をあげ、都市の地面はもう、ほとんど人工地盤だといわれました。
都市で目立つのは、造園樹木による単純な植物相であり、また、落葉の除去、雨水の直接法流、踏圧によって土壌生物の環境が劣化し、公園・緑化地には、大量の薬剤(除草剤・殺虫剤・殺菌剤)が散布されることによる限られた生物相です。
田瀬理夫さんによると、外来種の緑は濃くて、在来種の色と異なるそうです。
野原でみると、ハッキリと異なるそうで、それはつまり、現代日本の風景に、日本古来の野原の色が失われていることを意味します。つまり、日本人の色彩感覚に狂いをもたらしているというのです。
そういえば、草木染(野山染)があったな、と頭に浮かびました。草木染の色に懐かしさを呼び起こされるのは、ほんらいの日本の色だからです。しかしそれは、むかしの野の色を知る年寄りに限られることで、最近の若い人は、外来種の濃い緑しか知りません。
田瀬さんに秋の七草のことを聞いたら、栽培されているものはあるけれど、野草のものは壊滅的に失われているという話でした。それはここ50年来のことで、除草剤が大量に散布される農業になってからのことだと田瀬さんはいいます。そうして、外来種の草ばかりが日本中に蔓延こりました。
わたしは、この話を聞いて、各地の工務店が在来種の再生をはかる運動を起こすなら、それこそがほんとうの「エコ」であり、「地ブランド」になると思いました。今の風潮は、エコカーに乗ればエコ、太陽電池を載せればエコということで、極度にモノ化されています。自転車で通勤している人の方が、ほんとうはエコなのに、自転車にエコポイントがつけられたという話は聞きません。歪な現実が、エコという名のもとに進行しています。この「新自由主義」に乗ってはなりません。
田瀬さんは、除草剤を使っている田畑には野草は育たないといいます。
道も川もコンクリート化が進んでいます。市民公園には、どこにもある草花は植えられていますが、その地域の固有種の木もなければ、在来種の草花も植えられていません。街路樹や道路の分離帯の植樹も同じで、造園業者が扱うものは、大量に栽培されている流通ものであって、在来種を植える条件は現場から失せています。
残されているのは、もう各戸の庭しかない、というのが田瀬さんの見方で、事態はもうそこまで来ているのです。しかし、野草を蘇らせるには、在来種(自生株)を確保しなければなりません。在来種の草も、固有種の樹木も、どこかで買えるものではないからです。その地域のものをみつけ出し、それを用いることを原則にしているのが田瀬さんです。
OMソーラーの本拠地の「地球のたまご」の計画では、1万坪の敷地(借地)をどう扱うかに苦慮しました。そのとき、設計の永田昌民さんから提案があったのが、田瀬さんのご指導を乞うという提案でした。社員たちは、田瀬から市内にどれだけ在来種の草花や、固有種の樹木が残っているのかを調査することを命じられました。動いてみて分かったのは、固有種の樹木は、市内の神社仏閣の巨木が落とす実生があり、それを育てればいいけれど、在来種の草はどこに行っても見つからなかったことです。
このため、奥浜名湖に注ぐ都田川を溯り、その最深部の村にまで足を運び、そこまで行って、ようやくのこと見つけました。県境の寺野という過疎の村でした。そこにおばあちゃんが一人で住んでいて、昔ながらの農業を営んでいました。調査メンバーの興奮を呼んだのは、自生種のりんどうの一種を見つけたことでした。レッドリストをみると、全国で数多くのりんどうの絶滅危惧種が指定されていますが、その一種類でした。
町の工務店ネットは、住宅の庭で在来種の樹木や草花を植え、育て、それを〈株分け〉することで、地域の野原に在来種が復活させることができれば、ということで「一坪里山」を開始しました。
「一坪里山」は、ささやかな取り組みに過ぎませんが、デッキ近くに設置されると人の目が行き届き、少しでも成長し、増えると嬉しくなります。そこで注意深く育てられたものを庭に移植して育て、さらにそれを知り合いに「株分け」することで、地域に輪を広げようというのです。
しかし、もし「一坪里山」を住まい手と地域を巻き込んだ取り組みに発展させれば、その土地の「地ブランド」としての地域価値を生めるのではないでしょうか。そのためには、一軒の家だけでなく、デッキで「一坪里山」を育てている家を、町の一角に群れで生むことだと考え、発展させたのが「里山のある町角」です。
工務店にとって植栽工事は、電気・水道工事と同じ扱いで、業者に丸投げしてきたのが実情です。設計の段階で植栽をしっかり考え、計画化することの意味と価値を、わたしたちは田瀬さんから学びました。
これをちゃんとやれれば、一つの地域価値を生むことになります。ある意味、営業的にもつよいインパクトを持っています。もし、これを地域でブームにまで高めれば、大きな評判を生むことでしょう。
【里山のある町角in宇刈】事例計画案に沿って
計画の発端について
「2019年秋の設計セミナー」で、中規模建築の取り組みを開始し、その実施例を生むべく、「遠州・地域材研究会」(事務局・町工ネット)を結成しました。研究会のメンバーは、会員工務店5社(入政建築・水﨑工務店・造居・番匠・スローハンド )・会友の設計者2社(村松篤・坂田卓也)・地元の製材会社2社です。昨春、市と浜松商工会議所の後援をいただき、保育園や地域施設などの建物見学会を計画したのですが、コロナ禍により、2度にわたり中止せざるを得なくなりました。それで、このイベントに代わる取り組みを考えようということになり、提案を募りましたら、神戸の里山住宅博のような取り組みを、ということになりました。
そこで不動産をやっている袋井の造居さんと、小池の方で土地を探索することになりましたが、適地がなかなか見つかりませんでした。そんな折、造居さんから所有者から依頼を受けている土地があるけどという話が出て、私の方で案内を申し出て現地に立ちました。
この土地を見た私は「田瀬さんが計画したら面白くなるかも」と造居さんに言いました。改め公図や住宅地図、これまで作成された計画図などを送っていただき、田瀬さんに見ていただくことになり、会員メンバーにも声を掛けました。前ページの上の写真はその時のものです。最初に作成された計画図が18区画に対し、田瀬さんが最終ラフスケッチとして提出いただいたのはその半分の9区画でした。
後背の里山を別にして、敷地内は大きく3段の高低差があります。上の断面ラフスケッチはテラスハウスを想定した第3案のために描かれたものです。この図の左駐車場は草屋根付の駐車場になっていて、その向こう側に隣地の住宅の屋根が見え、その遠方の山も見えます。
この駐車場は、住民専用の駐車場で一軒2台を想定していますが、1台で済む家もありますので、3台以上ある家は、その人から譲ってもらえるようにします。外来者用の駐車場が、別に道路に沿って設けられます。
真ん中の道は、クルドサック(自動車が通り抜けできない袋小路状の道路形式=フランス語cul-de-sac)方式にしたがっています。このラフでは、救急車や引越車両が入るのを可としながら、普段は入り口に、簡単(表示するだけで車は入ってきません)な車止めを設け、歩く道として用いることが想定しています。この道は、建築確認を得るための接面道路の要件を満たしますが、私有地の引き込み道は、旗竿敷地のような路地にしないで、昔の町家に見られる小径のようなあり方であり、コモン緑地との違いは床面にレンガやタイルを用いる程度とし、せせこましく柵を設けたりしません。また、敷地の高低差は土留めにコンクリートを用いず、なだらかな自然傾斜とし、必要な場合は蛇籠(布団カゴ)を用います。後背の山(斜面緑地)の樹木は剪定し、残すべき樹木に加えて、地域の在来種の苗木を植栽し、この地域固有の樹林風景を復元します。この斜面は、昔の里山のように、住民の入会地とし、栗・柿・イチジク・梅などの果実がなる木も植えたいと考えています。斜面地に散歩道を設け、またツリーハウスや、稜線近くには展望台を設けられたら面白いかもしれません。万事、おおらかなあり方をモットーとします。
田瀬さんの第1案ラフに、「水盤、桶ヶ谷沼の同じトンボが来る」というメモが書き込まれていました。桶ヶ谷沼は計画地からほど近く、場所は稜線から見える磐田原台地東縁にあります。この沼は、県内のトンボの3分の2、国内の3分の1の種類が確認されており、全国的にも『トンボの楽園』として知られています。
神戸の里山博では、住人が柑橘系の木を植えたら、どこからともなくアゲハ蝶がやってきました。田瀬さんの代表作、アクロス福岡は福岡市の繁華街にありますが、遠く見える山から小鳥がやってきて糞を落とし、その糞に入っている実生が芽を出し、樹種がたくさん増えました。田瀬さんの「水盤を設けたら、桶ヶ谷沼の同じトンボが来る」というメモは決して願望ではなく、リアルな話なのです。
神戸やつくばでは、建築協定・緑化協定、設計ルール・外構ルールなどを設けました。建築協定は、地元の市長が署名し、市長の名のものに実行されます。
ロンドンの郊外住宅地区ハムステッド・ガーデン・サバーブ(Hampstead Garden Suburb)では、自分の敷地内の木を伐るにも20軒の同意を必要とします。私は、宮脇檀さんの建築ツアーに参加し、40年近く前にこの街を見学し、話を聞いて、環境を守るとはこういうことなんだ、と目を見開きました。
このガーデン・サバーブは、20世紀初頭の住宅建築と都市計画の事例であり、マスタープランはバリー・パーカーとレイモンド・アンウィンによって引かれました。そのコンセプトは、・あらゆる階級、あらゆる所得層の人々に住まいが提供されること・住宅の密度を低く保つこと・街路は広く、街路樹を植栽すること・各戸の区画は、壁ではなく生け垣で区切ること・林地と公園は、誰もが自由に利用できること・静寂であること(教会の鐘は禁止)というもので、それはロンドンだけでなく、欧米の郊外(田園居住)団地の規範となりました。東京の田園調布は、このあり方も土地計画も模しましたが、換骨奪胎され、表面的なものでしかありませんでした。
ロンドン郊外を代表する田園都市レッチワースは、100年間の定期借地権付き住宅で、その賃料の一部を用いて、100年以上経った今も、団地の道路・公園・施設建築の更新費用に用いられています。
日本では、敷地の内側を私権とし、縛られるのを嫌がりますので、レッチワースやガーデン・サバーブのようには行きませんが、少しでもよくなるように計画段階で検討を重ね、住人みんなが納得できるルールをつくりたいと考えています。
「里山のある町角」を〈まち〉のオアシスに
最近の郊外住宅の外構工事は、身も蓋もありません。田瀬さんにいわせると、家を囲う外構建材は、「しょうもないものばかりで占められている」のが現状です。 「里山のある町角」にいう町角とは、「町角の煙草屋」ということでなく、町の一角と解します。敷地は1反〜3反程度。各戸が「一坪里山」を持ち、このスケールでもって、里山住宅博並みに、「建築協定」と建築ルールと外構コードと、「緑化計画」を持った小団地を造ります。これが一番目のミソです。ここにいう「町角」は、「町角を曲がったところにある交番――街路の曲がり角」を意味する町角(街角)ではなく、片隅、町の一角。最澄がいうところの「一隅を照らす」地域工務店らしい仕事となります。
ライトのユーソニアン・コミュニティー
ユソニアンハウスは、各計画は敷地の性質と建築主の要望にあわせて設計されましたが、共通のディテールと工法によって建てられました。ライトはこれをGrammar(文法)と呼びました。それは単体の住宅だけでなく、ユソニアン・コミュニティというカタチでも実現されています。1947年に生まれた、ミシガン州ゲイルズバーグ(次ページ左図)がその一つです。このコミュニティは、製薬会社で働く若い科学者たちが、共同組合をつくり、1軒=1エーカー(1200坪)の円形敷地を確保し、そこに手頃な価格の家を建てようという計画を立てライトに依頼して実現したもので、3棟がライトの設計で実現しました。
右図は、イギリス、地方都市郊外の集落です。昔からの街道に面しているけど、内側はバラバラ感があって、日本のそれと異なります。イギリスの地方の自治体は「町づくりマニュアル」を持っているところが少なくありません。
景観は、ある日突然生まれない
建築は恐い。建築することは、町や自然の破壊行為をどうしたって伴います。建築は、町を造るにも家を建てるにも、現存する建物なり、自然を壊さなければなりません。
よく手つかずの自然といいます。今やこの地球に人の手が入らない場所などないともいわれます。最果ての極地にも、ジャングルの奥地にも、高地や地下深くにも、深海にも人の手が延びています。
フランス第三共和政を代表する知性として知られるポール・ヴァレリーは、「ある土地と、その土地に住む国民との間、大地の拡がり、輪郭、凹凸や河川の状況、風土、動物や植物、地味などと人間との間には、徐々に、相互的な関係が形成される。その国民がはるか昔から、その土地に定住していればいるほど、このような関係は多様となり、錯綜したものになる」と書きました。
景観とは何かということを、これほど的確に表現した文章をほかに知りません。人は自然に働きかけ、破壊と建設を繰り返すことで、景観を形づくってきたのです。景観は、人と自然との長い応答の関係によって醸成されたものであって、ある日突然生まれたものではありません。
里山と人工林は似た境遇に置かれている
里山は、自然が生んだものと勘違いしている人が少なくありません。けれども、人が関与しない、自然のままの里山などありません。
現在、里山は住宅団地や工業団地に姿を変えるか、または放置され、樹木が自然のまま繁茂して籔状になり、都市住民の廃棄物投棄場所になったりして、荒廃化が進んでいます。
里山は、「山川籔沢の利は公私これを共にし」(飛鳥時代の天皇の詔勅)といわれ、古くから人の手が入り、集落民の入会地として、稲作の水源、春の山菜や秋の茸、燃料や肥料を供してきました。手入れが行き届いた里山は、光が地面にとどく森であり、小動物が多く生息し、食物連鎖の頂点に立つ猛禽類のタカなどが君臨しました。
タカは里山に生息するネズミやウサギ、鳥類を餌として捕獲しようと、大空を旋回します。もし里山の地表が下草によって覆われていたら、大空を舞うタカは、餌を得ることが出来ません。
余談になりますが、タカ一羽が生きて行くためには、一日当たり最低3億キロカロリーの太陽エネルギーが必要とされるそうです。1日1㎡当たりの平均入射太陽エネルギーは、全季節込み平均で約3000キロカロリーです。タカ1羽のためには、最低10万㎡(10ヘクタール)の里山が必要です。1つがいなら最低20ヘクタール、つがいが雛1頭育てるためには30ヘクタール必要とされるというのです(出典『里山の自然をまもる』築地書館より)。
写真家の今森光彦さんは、里山には「人間を拒む原生の自然とは違った、もう一つの自然がある」といいます。そして里山の「生物を見ていると、自然というものは、私たちのほんの身近なところから広がっていて、空気のように存在する」(『里山物語』)ともいいます。つまり、人が入ってこその里山なのです。里山と人工林の山は、似た境遇に置かれ、共に放置されると荒廃する山です。人工林は、天然林と異なり、絶えざる伐採と更新によって環境が保持される山であり、放置されるとたちまち荒れてしまいます。
松山巖の『住み家殺人事件』
一方、都市景観は、人間の希望と欲望、美と醜が綯い交ざり合っています。
建築士でもある作家の松山巖は、東京・愛宕山の下に暮らし、品川の超高層ビルの林立によって、海からの涼風を奪われたと怒っています。それで、『住み家殺人事件』(みすず書房刊)などという物騒なタイトルの本を書きました。
「建築を新たにつくることは、近代に入ってテロリズムの色彩を強めている。なぜなら、それ以前の時代と比べれば驚くほどの短時間に周辺環境を変え、人間関係を変えてしまうからだ」「この殺人事件には建築家をはじめ、建築にかかわる仕事に従事する人々も当然ながら加担する」
この物言いに怯む人がいるかも知れません。しかし事実として、建築するとは、知らぬ間に既存の環境を破壊していることを意味するのです。法律用語に「未必の故意」という言葉がありますが、建築は「未必の故意」の連続と言えるのかも知れません。
だからこそ、建築する者は景観に対する見識が要求され、慎重な対応が望まれるのですが、わが工務店は、そういう自覚が総じて希薄です。工務店は、いつも建築することに急で、よもや自分が行っていることが景観破壊になっているなどということは夢々思っていません。古い家屋を取り壊して、新しく建築することは「善」であり、その限りにおいて工務店は、いつもノー天気を続けてきたのではないでしょうか。
気がついたら、町の商店街のシャッターが閉じられ、町から人が消え、町そのものが遺棄される事態に陥っているというのに、工務店は相変わらずトンカチを持って、その跡地の再開発の建築に従事しています。再開発された町は、真っ直ぐに道路が通り、街路樹が植えられ、舗道は整備され、新たに建てられた家々の外壁はツルツルピカピカしていて、白いレースのカーテンが掛かった出窓と金属製の玄関ドアが妙に目立っていたりしますが、ほとんどの工務店は、その空寒さに気づくことはありません。
地域の景観をつくることの意味と価値
2004年(平成16年)に「景観法」が制定されました。
第1条に「美しく風格のある国土の形成、潤いのある豊かな生活環境の創造及び個性的で活力ある地域社会の実現」することが挙げられています。
しかし、何を手掛かりにして建築したら景観に「配慮」したことになるのでしょうか。一戸の住宅が、やがて街並みや景観を形成するものだとして、ある橋だけを取り上げて橋梁景観と呼ばないように、ある家だけを取り上げて街並みや景観をいうことはできません。ある空間に建築物が同時に存在し、互に関連し合っている状態をして街並みや景観という以上、一個の住宅が幾ら美的に優れたものであっても、それを街並みや景観とはいえないのです。
つまり、街並み、あるいは景観の形成は、単なる建物の集まりによって生まれるものではないのです。景観とは、歴史と文化総体を含む、その場所の住人が育ててきた地域文化の表現であって、ハード面だけでなく、地域コミュニティの全体を映し出すものです。その「貧」は、地域の文化度を如実に反映しています。利己でやってきた結果です。アフター・コロナでは、利他が求められます。
国交省が設置した「(仮称)まちなみ景観形成ガイドライン」検討委員会(座長/山本理顕)の議事録を読んでいたら、こんな指摘がありました。景観問題について「行政は看板、電線、建物の色やデザイン、歴史的建造物を守っていくということを景観問題として認識しているのに対して、市民は放置自転車、ごみの不法投棄、空き家の増加を景観問題として深刻にとらえている」と。
土地を遺棄し、移転するのは、生活や地域社会の遺棄であり、そのような不安を抱かせるような景観が、荒廃した景観だという指摘に、わたしはなるほどと合点が行きました。
日本ではこれまで,日常生活圏の景観は、あまり問題にされてきませんでした。しかし、今のように地域環境が変容し、日常生活そのものが揺らいでくると、生態的な日常景観を無視して地域の将来像を語ることはできなくなります。
卑近ないい方をすれば、町角のお地蔵さんに世話を焼くおばさんの存在も、景観作法の一つといえるのではないでしょうか。地域コミュニティは、互恵互助の関係があり、痒いところに手が届き、目が注がれることによって成り立つものだからです。人間回復を促す町をつくることが、地域景観をつくるということだと、わたしは信じています。
町の工務店が建てる家は、地域の人々の暮らしの営みと不可分であり、そうして建物が地域の表情を映し出したとき、そこによき景観が生まれます。モデル事業にいう「配慮」を、そのように解してみることで、わたしは自分を納得させました。
きれいにゾーニングされ、整備された町のあり方を、社会学者の宇沢弘文はル・コルビュジエの「輝ける都市」になぞらえて、『社会的共通資本』(岩波新書)という本においてきびしく指弾しています。建築の仕事に携わる者は、ル・コルビュジエの偉大さを知る故に、このように指弾することは躊躇われます。しかし、宇沢は捉われなく、現代都市の現実に目を向けたのでした。
「輝ける都市」は、ル・コルビュジエが1922年に発表した都市計画の考え方です。コルビュジエは「都市とは純粋な幾何学である」といい、格子状に伸びるまっすぐで幅広い道、所々にそびえる高層ビル、十分距離をとった建物の間に緑地帯が広がることを理想としました。この考えにもとづいて建設されたプルーイット・アイゴーやブラジリアなどの都市は、人が歩くことを忘れてつくられた計画都市とされ、劣悪な失敗作になりました。
このような「輝ける都市」に対するアンチテーゼとして、宇沢はジェイン・ジェイコブズ女史の四つの原則を挙げます。
ジェイコブズは、地域は二つ以上の機能を果たすのが望ましいといいます。住宅だけとか、ビジネスビルとかだけでなく、入り組んでいるモザイク型がいいのだ、と・・・。二つ目に、道は狭く、折れ曲がっていて、一つ一つのブロックは短い方がいいといいます。幅が広くて、真っ直ぐな道路はよくない、と・・・。三つ目に、建てられた年代が違う建物が混じり合っているのがよく、古い建物を壊さない方がいいといいます。そして最後に、ジェイコブズは、人口密度は高い方がいいといいます。
つまり、道が狭く、いろいろな建物が雑多に入り交ざっていて、たくさんの人が住んでいるモザイク型の街が住みやすいというのが、ジェイコブズの主張です。これらは、彼女の代表的な本『アメリカ大都市の死と生』に述べられていることですが、このようなモザイク型の街は、日本のどこでも見られたものでした。そして、その都市再開発は、ジェイコブスが挙げたあり方にことごとく反するものになりました。
都市に住み続ける「街なかハウス」と「田園居住」の関係
仮に月に1回の出社でよくなれば、新幹線で1時間圏内に住んだり、高速道路網を使って遠距離通勤することが可能になります。これまで、仕事がないのが移住の難題でしたが、それがテレワークで取り払われ、事業側も、経費削減と人材確保の有利性を見出し許容するようになりました。この兆しは、かれこ れ5年ほど前から起こっていたことですが、今後、より顕在化するでしょう。 しかしそれが「不便だけど仕方がない」という消極的選択に止まる限りは、ほんものになりません。かっこよくないと潮流は形成されないからです。
我々はそれを「田園居住」という言葉に括り、自然と共生し、食と健康、農のある生活とを結びつけ、ライフスタイルにまで高め、展開することを提案してきました。この提案は、今の大都市が抱える限界性にあり、一極集中的なあり方に悲鳴が上がっていることが背景にあります。
コロナ禍は、ほとんど大都市の問題です。東京都知事は、2020年の春、コロナでオリンピックの延期が決まった2時間後に、急に「ロックダウン」をいい出しました。
一方、線状降水帯を条件づけた海水温の上昇は、大都市部の「ヒートアイランド現象」の影響によると、気象学者は指摘します。
今、大都市圏に居住している人に「住むな」とはいえませんが、この現実に気づいた人から、徐々に大都市離れが生じることでしょう。今、起こっている現実は、まるで「応仁の乱」を思わせるものがあり、コロナ禍と地球温暖化は「大都市を離れよ」という「アラート」のように思えてきます。
木の家だけの団地というだけでなく・・・。
現在、9区画の「里山のある町角」に対して、天竜材・天然乾燥・手刻みに熱心な有力工務店13社において出展を検討してもらっています。
神戸もつくばも、URが開発した団地でした。田瀬さんの実力を十分に発揮してもらえないことが心残りでした。今度の計画規模は9区画と少ないけれど、納得できるものをつくってもらえそうです。
また、神戸・つくばに結集した工務店は、対象とする区画数が多く、参加工務店を絞り切れませんでした。今回は9区画と少ないので、木の家だけの団地というだけでなく、集落として美しいものを生みたいと考えています。
昔の町家も、農村地域の民家も、まるで自生するキノコのように、一つの「群れ」を形成していました。現代の住宅風景から消えてしまった世界です。かつての白川郷の風景は、どの角度から写真を撮っても美しいものでした。最近の白川郷は、お土産品や五平餅の暖簾や幟がうるさく、それを避けてシャッターを切らなければなりません。もし来場者によってインスタグラムに用いられるとしたら、どの角度から撮っても、ということにしたいと思います。
かといって、価格的に手の届かないものでなく、手頃な価格でそれが求められるものであれば完売は容易であり、近くに新たな「里山のある町角」を計画し用意しておけば、そちらを奨めることができます。住宅博は計画規模が大きくなるけど、「町角」は幾つあってもよく、15pに述べたように「小さな規模がいい、という発想に立つこと。土地をまとめようとしな」ければ、次々と連続的に展開することができます。
土地の手当は、個々の工務店が進め、いい土地が見つかったら提案していただき、この指とまれで計画の成立をはかります。計画内容を精査し、「里山のある町角(商標登録済)」としての認定を行い、コンセプトとレベルの保持をはかりますが、工務店による共同・協同・協働の取り組みとして持続的に展開することができます。
一社でやる場合はリスクが大きいわけですが「この指とまれ」方式だと、そこで帰趨が決まりますので、リスクが少なくて済み、一社でやるより集客も多くはかれます。もしこのやり方で10年続けることができたなら、結果において、その町は美しい町だと人の口にのぼることになるでしょう。
同じ地域で9社の工務店が競争相手だと考えると怯みますが、総合展示場に出展するハウスメーカーは、どこも似た顔です。地域工務店は、狭量偏狭が先に立ち手を組むより、孤立しがちです。今回の場合も「天竜材・天然乾燥・手刻みに熱心な工務店」となると、ガチガチの競争相手ばかりです。それはしかし、これまでは共同・協同してやってこなかったから、狭いマーケットの中で争っているのであって、この了見でいる限り「天然乾燥・手刻み」のマーケットは永遠に広がりを得られません。先は知れています。
「由布院や黒川温泉のようにやろうじゃないか」と思うのです。
由布院の温泉宿は、共同・協同して取り組むことで声望を高め、人気をつくりました。「山のいで湯の一軒宿」ではなく、みんなで5倍10倍のマーケットをつくらなければ、本当の木の家はお客を失ってしまいます。
大事なことは、ユーザーが工務店を決める原則に立ち、よき競争相手を持つことで、それぞれが腕を上げることです。
「押しくらまんじゅう、押されて泣くな」で行きましょう。
文 小池一三