プロジェクト構想 その3

A2project とは、何を目的にするプロジェクトなのかを深堀りします。


広告に大きな文字で{「箱」から「場」へ }というフレーズを掲げました。

このフレーズは、私たちだけでなく、最近、よく見掛けるもので、さして新しいものでないかも知れません。何故、この言葉が用いたのかについて深掘りします。

一つは、コロナ禍によって、人と人の絆が壊され、コミュニティをどう回復するかということが、アフター・コロナの重要なテーマであることが挙げられます。

二つ目は、その下のボディコピーに記した「省エネと耐震面で、住まいの「箱」としての性能は、ここ20年、格段の進化を遂げました。けれども、住まうこと自体を歓びに高める「場」を生み得たかどうか? 」に掛かる話です。

昨年の春、コロナ禍で起こったことは、タクシーも、乗合バスも、鉄道各社も、窓を開けて、換気を呼び掛けるようになったことです。Webを見ていたら、ある病理専門医が「窓を開けて世界を救おう!」と訴えているのを知りました。この医者は、「大きな窓を1つあけるより対角線上の窓を2つ開けるほうが有効であること。対角線上の窓を2カ所あけると、空気の流れができ、あっという間に部屋が換気される」と述べていました。「三密回避」は窓を開けることだと喝破したのでした。

一陣の風が、私の身体の中をすうーっと通り抜けるような清冽さを感じました。最近の住宅は閉じる一方で、開くことを忘れており、建築関係者がとおに忘れていることを、しっかり言っていたからです。

設計/村松篤 (びお森の家)

建築家・村松篤の定番設計「びお森の家」の断面図と模型です。風の流れと共に、太陽光の冬の入射角や、トップライトによる昼光照明と重力式換気など、パッシブシステムの方法が取り入れられています。通風は、文字通り風の通る道をいいますが、天窓を設けて風が通る道をつくると風量は約2割増えます。開口部を狭くすると、風速は増し、大きくとると緩やかになります。

最近の住宅は、人間が自然界の一員であることを忘れ、無神経さを感じることが多くなりました。

“居心地の感覚”は、五感に響くものなのに、外界との応答を欠いている家が多いのです。南側の窓を全開しろと言っているのではありません。永田昌民は、下里の自邸設計に見るように、むしろ南側に影をつくることを意識的にやりました。この落ち着きと広さの関係は見事です。

風を通す、外の景色を愛でる。これは住宅の基本です。外の景色に期待できない土地だから、ということで窓を閉じる家が増えていますが、土地をよく観察すると、好ましい外の景色は見つかります。永田は、目を凝らせばきっと見つかる、と言い切りました。

下里の自邸は、いうところの「旗竿敷地」です。南側の庭も広くありません。広くないけど、鼻が詰まったような狭さを感じません。この家では、あえて南側に壁をつくることで、その壁の向こうの緑を予感させ、広さの感覚をつくり出しています。世阿弥の『風姿花伝』を思わせます。

そういえば、浜松の狭小敷地で、奥村昭雄が建売住宅を設計したとき、隣の外壁が迫っているのを見て、地窓だけを開け、そこに緑が濃く花が咲く椿の木を植え、隣の外壁を視覚的に消し、その地窓から風を招き入れる設計がありました。奥村昭雄は、吉村順三が改造設計を担った京都の俵屋を担当したとき、一つの庭を三つの部屋から見えるようにして、それぞれの部屋だけの庭であるかのようなテクニックを用いました。建売住宅の設計で、これに類した手法を駆使されたのでした。

奥村昭雄夫人のまことさんは、いつも「風の道はプランの基本よ」といっていました。そうしていつも、「空調に頼らないで、建築がやるべきことはやっておかないとね」と口を酸っぱくして言っていたことを思い出します。

また、吉村順三は好きな椅子を一脚置いて、そこから設計を考えたのよ、と奥村まことは小さな本(『吉村先生に学んで』)に書いています。椅子に坐っていて感じること、椅子に坐った高さから目に入るもの、というふうに徐々に「場」をひろげ、向かいの家や、お隣りさん、目に入る樹木や家の壁や屋根、近景から中景、遠景まで、あるいは目に見えない地域の気象や建築素材、習俗や文化までを「視野」に入れて設計するのが吉村譲りの「場」の設計です。

「箱」は「箱」で完結しがちですが、「場」は無限大です。宇宙にまで広がります。

自然界から誕生した人間は、自然と触れ合うことでリフレッシュできます。ものを輸送するだけなら窓を必要としませんが、旅客機には小窓がついています。この窓はカバーで閉じられる時間が多いのですが開けられます。もし、開けてはならないと強制されたら、大きなストレスを感じるでしょう。人は、たとえ雲の上であっても、外の自然とつながっていると分かっていれば安堵できるのです。 ル・コルビュジエがレマン湖畔に建てたお母さんのための家のゲスト用のベッドは、一番東側にあり、ドアのガラス窓から朝陽が差し込みます。足元に朝陽を感じて目を覚まして外に出たら、レマン湖の朝の風景が広がっています。庭にピクチャーウィンドーを設けたコルビュジエです。この「場」を、彼がどう考えていたのか、少し考えたら「ははーん」と頷けます。

Type L, Dessin d’éude, plan avec améagemant intieur.
庭のピクチャーウィンドウ

次の図は、後で述べる「設計道場・ククル分会」の講師としてお招きする宿谷昌則さんの本に出てくる図です。人の体内環境を「小宇宙」とし、建築環境を「中宇宙」、その外側に都市環境、地域環境、地球環境があって、さらにその外側に「大宇宙」があり、「場」はそれら全てを包含していると宿谷さんは言います。このプロジェクトが考える「場」は、そこまで含まれるものと考えます。

リビングの単なるしつらえ方や、外のデッキと繋がっているといった、ハウス雑誌の写真のキャプション文字のものでないことを知って欲しいと思います。宿谷さんの世界にハマると、汲めども尽きぬ面白さを味わえると、町工ネットの「日本海側気候と住まいのデザイン」を考えるオンライン会議で、秋田・もるくす建築社の佐藤欣裕さんが言っていました。温熱環境を熱貫流率で判断し、空気熱で判断する貧しさからどう脱皮するかも、アフター・コロナの重要な要件です。

「快適の質」を問う。– 身体と「場」の関係を追う。

モンシロチョウやヒトの身体などと「場」の関係について少し述べます。

まず、モンシロチョウですが、蝶は変温動物です。変温動物にとっては、太陽は命の綱です。モンシロチョウは、体温が26℃を超えないと飛べません。成虫になって 10〜15 日で寿命が尽きますので、この間にオスは相手を見つけて子孫を残さなければなりません。

飛べなければ相手を見つけられません。モンシロチョウは、(はね)を閉じ、翅いっぱいに太陽熱を受熱し、体幹に向けてその熱を放射し、体温を26℃以上に高めます。暑いと翅を広げたり、閉じたりしながら涼しい空気を体幹に送って体温を下げます。暑くなると太陽に向かって翅を直角に閉じ、太陽が当たらないようにするか、キャベツの陰に身を隠したりします。

これに対して、ヒトは恒温動物です。身体の中に組み込まれたサーモスタットが働いて、ほぼ 37℃°になるよう体温を調節しています。その身体の大部分は液体が占めています。

血液は、水が血液循環する地球と同じような役割を持っています。

海水は太陽に熱せられて蒸発し、雲になり雨となって、陸地を潤し、浸み込み、川や地下水になって流れ、海へと注ぎます。ヒトは、地球が持つ、この水循環の「環」の中で生を得ており、体重が50キロの女性なら、そのうち30キロは水分が占めています。血液は体内を流れる川です。血液は、呼吸から酸素を受け取って心臓に向かい、そうして全身を巡ります。

住まいは、血液が体内を循環し、スムーズに運行することを助ける役割を持っています。ヒトは、尿や便、呼吸や皮膚からも水分を体外に排出し、水分量を補給することでバランスを保っています。

そんな人体にとって、“居心地” のいい「場」は、どういう「場」の状態をいうのか。例えば、冷房による冷え過ぎの状態や、60℃もの熱風が吹き出し、頭ばかりボカボカする暖房などは、決して“居心地” がいいとはいえません。いずれも過刺激的です。適度であること、ホドの良さが大切です。

人は生まれるまで、お母さんの羊水(ようすい)の中で、ゆらりゆらり揺られながら育ち、地上に現れると指をしゃぶり、おしゃぶりを与えると鼻呼吸がうながされ、徐々に地上生活に適応していきます。人の吐く空気が、吸った空気より、かならず湿り気が多いのは、人体が液体の水で満たされているからです。

地球生命は海から誕生しましたが、海から誕生した生命は、最初は、藻や細菌類のような単細胞生物で、酸素や紫外線の条件がととのってくると、昆虫やひれをもつ魚類など多細胞を持つ生物へと進化しました。

エラは肺に、ヒレは手足に、陸上に適した身体に変化を遂げました。まぶたや涙腺・涙道は、動物が海から生まれた名残りです。まぶたは、眼球を保護し、瞬きによって涙の分泌と排出をうながし、乾燥を防ぐ役割を持っています。

解剖学者・三木成夫(しげお)は、「赤ん坊がついに羊水を飛び散らせてズボッという音とともに出てくる」と言います。90%液体のなかで胎児は育まれ、老人になると50%に減ります。老人が熱中症に罹りやすいのは、この水分の減少にあるわけで、これを読んでから、私は絶えず水を飲むようになりました。

地上の生物のすべては、海から生まれた。
海の中にいるような、母体(羊水)の中の赤ちゃん。
赤ちゃんから老人までの人体水分構成
人体水分構成と1日の水分排出量

これらの図を見ると、人間は特別な存在ではなく、自然界の一員であることに気づきます。

先にも触れましたが、今の住宅の温熱環境は、熱貫流率で判断し、室内の空気熱で暖かいとか冷たいとか言います。けれども内臓は水の中を浮いているようなもので、体幹に及ぶ熱の伝わり方はどうなのか。宿谷さんは、大事なのは周壁熱であり、放射だと言います。

皮膚が退化した今も、ヒトは、冷たいと涼しいとの違いや、 熱いと暖かいとの違いを見分けるチカラを持っています。“居心地の感覚”と「場」の関係は、そこをしっかり見ないと見えてきません。 

吉本隆明は、不世出の解剖学者・三木成夫の本との出会いを「ひとつの事件」だと評していますが、私は最近、三木の『ヒトのからだ』(うぶすな書院)や『いのちの波』(平凡社)などの本を読みながら、人間、動物、植物、はては天体にまで思いを巡らせています。

私は、三木成夫の本を宿谷昌則さんから紹介を受けました。解剖学に縁のない私にとって、三木の本は難解ですが、今の住宅の温熱環境の取り扱いを見ていると、狭い了見のものと思えてなりません。快適とは何なのか、心地いいとは何なのか、われわれはまだ正しい解答を持っていません。であるなら、難しくても勉強しなければなりません。みんなで身を乗り出して勉強しましょう。

今回の「設計道場」に宿谷昌則さんを招聘するのは、もう一度、ゼロに戻って快適を見究めたいと考えてのことです。宿谷さんは、環境工学者と言われていますが、ご自身は「建築環境学」と言われています。その違い知るために「設計道場」の講義にご参加ください。

文 小池一三