発注者側の意識を文学作品に学ぶ

地域の一隅を照らす工務店を
応援したい佐塚です。

昨日は、鹿児島での二日目。
だったんですが
今日は土曜日だし、ちょっと中休み。

息抜きに読書系のネタを
楽しんで書かせていただきます!

僕は、このブログでは
封印しておりますが
長文が書きたくて仕方がない。

この影響は、古くは太宰治
近年では町田康にあるのかなあと
感じています。

その町田康の作品で、工務店の方に
いつも紹介しているものがあります。

作る側の理論じゃなくて
工務店に頼む側の心境を
つかんでおいた方がいいよ、と。

町田康の作品のいくつかに
自身の家をリフォームした際の
ことが出てきます。

そのフレーズの数々といったら
むやみに長いわけです。

長いけれどピックアップして
いくつか紹介しましょう。

紹介している引用文は
ベターっと長いけど
それも特徴なので堪忍ね。
(文章じゃなくて写真だと思ってながめてください)

『餓鬼道巡行』

住まいをリフォームするにあたり
台所が使えなくなったため
ウロウロと外食をするお話です。

それで、よーし、やるぞお。生活。と勢いごんでみたのだけれども、これまで素敵快適な生活というのをやったことがないので、どうやっていいのかが皆目わからない。
それでどうしたかというと、生活のやり方が載ってそうな、クウネルとかチルチンびととかクロワッサンといった雑誌をたくさん買ってきて精読、生活のやり方を研究した。
それでひとつわかったのは、生活、それも底辺の生活ではなく、素敵快適な生活をするためには、生活から生活をしている感じをなくすることが必要だ、ということである。

「丁寧な暮らし」とかいって
小洒落た家を宣伝している
工務店も少なくないでしょう。

そういうお手本の裏に
こういう印象を持つ人もいるわけです。

具体的に言うと、カラーベストの屋根や合成樹脂のサイディング、アルミサッシやビニールクロス、ユニットバスなどで、こうした現代の住戸において使用される、便利で比較的安価な材料、素材は生活感の発生源となる。ならばどうすればよいかというと、時間を前か後ろにずらす、すなわち、きわめて未来的な材料、素材を用いるか、きわめて伝統的な材料、素材を用いればよい。それにより意匠は必然的に奇矯なものとなり、また意匠のみならず、工法・構法も奇矯なものとなって、奇矯なものからは生活感は殆ど発揮されないのである。

皮肉に聞こえるか
真面目に捉えるか。

それはさておき
時間を前か後ろにずらす
ってのはいいと思う。

『リフォームの爆発』

こちらは、上記で挙げたリフォームを
やった時の顛末記。

結論から言うと、見積書の見積もり金額はまったく当てにならない、根拠薄弱な数字である、ということになる。なぜ、そうなるのか。それは申し上げたように予算額から逆算したフィクションに過ぎぬからで、見積もり総額とは予算額をいったんバラバラに分解し、再度、積み上げたものである、ならば、それがフィクションである以上、無碍に変更可能なものである。

こんな風に、発注者側の視点を
大きく膨らませながらの内容で
工務店は必読だと思う次第。

そして、建築の話じゃないんだけど
町田康の作品で心に残るのが

『しらふで生きる』

昨日、バッカスの化身と呼ばれるような
酒豪というか酒にだらしない工務店の
社長とお話ししていたら、なんとびっくり。

お酒もう何年か飲んでないよ、って。
病気でやめたとかではなく
いわゆるソバーキュリアスというアレです。

えー、僕も『しらふで生きる』読んで
やってみたけど1ヶ月しか持たなかったよーと。

元バッカスの彼も「読んだ読んだー」
なんて話で盛り上がりました。

お酒をやめても人生は豊かかも知れません。

僕には実践できませんでしたけど
人には無責任に勧めてみます。