信玄と勝頼のアナロジーに学んでみる

地域の一隅を照らす工務店を
応援したい佐塚です。

昨日の大河ドラマ『どうする家康』に
この前紹介した「小豆餅」と「銭取」が
出てくるかと思ったけど、出ませんでしたねー。

土地の名前に歴史と文化を見る
地域の一隅を照らす工務店を 応援したい佐塚です。 大型連休終了で 今日から通常稼働です。 連休中、僕の住む浜松では 松本潤さんらによる 「家康公騎馬武者行列」があり 68万人もの人が訪れたそうです。 今更いうまでもないですが 徳川家康は浜松...

「犀ヶ崖」だけはちらっと出てきました。

ブログ仲間で、浜松市でピラティススタジオを
営んでいる、そのさんが犀ヶ崖について
詳しく伝えてくれています

さて、今日は家康ではなくて、その家康を
脅かしている武田信玄と勝頼について。

この像、誰かわかりますか?

武田勝頼像

武田勝頼です。
あんまりビジュアルの印象ありませんね。

信玄の死後、家督を継いで
織田・徳川連合軍に
長篠の戦いでボロ負けしたことで有名です。

こっちはわかりますよね。

武田信玄像

そう、武田信玄です。

信玄が健康なままでいたら
徳川は滅んでいた可能性が高い
と言われています。

最近、残念なことに、以前に
ご縁があった工務店の倒産情報を
いくつか耳にしました。

どこも共通するのが
創業社長が亡くなって
そこから立て直せなかったそうです。

勝頼は、信玄の四男で
一度、武田家ではなく
諏訪家に養子に出ています。

その後、上の3人に不幸などもあって
四男の勝頼が家督を継ぎます。

しかし長篠の戦いで敗退後数年で
武田家は滅亡してしまいます。

勝頼も、武将としては信玄に劣らなかった
部分もあるかもしれません。

でも、他家に出ていた若い後継者では
人心掌握ができなかったというのが
勝頼の一番の不幸ではないでしょうか。

『影武者』で知られるように
信玄は自身の死が武田家に与える影響を
理解していて、死を隠しました。

現代ではそういうわけにいきませんから
後継者候補が勝頼状態になっていないか
気をつけておく必要がありそうです。

歴史に「たら、れば」はありませんが
歴史から類推(アナロジー)して
会社の未来を作ることはできますよね。

ちょっと重苦しくなってしまいましたが
たまにはこんな話もね…。