『生き心地の良い町』を読んで反省した。

地域の一隅を照らす工務店を応援したい佐塚です。

このところ、まちづくりまちづくりと言っていて、視察をしたり関連読書をしたりしておりますが、その中で気になった一冊、『生き心地の良い町』(岡檀 著/講談社)を通じて感じたことを。
この本のサブタイトルは「この自殺率の低さには理由がある」です。

舞台となっているのは徳島県海部町(現在は合併により海陽町の一部)です。
著者が、1973年から2003年までの30年データで、自殺率を調べたところ、海部町は全国の自治体で8番目に自殺率が低く、そして海部町より上位の8自治体は、「島」だった。島という特殊な地勢を除外すると、一番、ということになります。

残念ながら、僕の身の回りにも、自ら命を絶った人がいます。何かできなかったのかと後悔の念が止むことはなく、そしてこれからそういうことが起こらないように、と切に思います。

自殺に至ってしまう「自殺危険因子」は、病苦・健康問題、生活苦・経済問題が大きく、これらでほぼ70%ぐらいといいます。この海部町にも、周辺と同じように自殺危険因子はしっかり存在しています。なのになぜ自殺が少ないのか。

そこには、自殺予防因子があるのでは、という仮説で町の調査をしていく、という本です。

ネタバレになっちゃいますが、その予防因子とは、

・いろんな人がいてもよい、というより、いろんな人がいたほうがよい
・人物本位主義
・どうせ自分なんて、と考えない
・「病」は市に出せ
・ゆるやかにつながる

という5項目です。

「いろんな人がいてもよい」ぐらいは、多様性の時代、建前としてはどこでもいうかもしれませんが、実際は排他的な人が多い、ということをあちこちで感じます。でもこの町は、いろんな人が「いたほうが」よい、と考えている。例えば、赤い羽根共同募金の募金額が極めて少ないそうです。どこで何に使われるかわからないお金より、使い道のわかるような寄付なら大枚をはたく、という人もいて、他の人が寄付したよ、と言ってもなびかない。誰かに義理立てしたり、みんながやっているから、ということを考えない。いいと思えばやる。
「朋輩組」というコミュニティがあって、これは概ね似た年代のグループが積み重なってできているもので、地方に行くと似たものを見ることもありますが、この組には、よそ者でも新参者でもいつでも入れるしやめられるし、女性の加入も拒まない、選挙の票田にもならない、というオープンなものです。閉鎖構造で統制するのではなく、その結果、メンバーの考え方も十人十色なわけです。

「人物本位主義」は、地位や学歴を気にせず、年長だからとか、何々の役職を経験してきたから、とか、そういうことをまるで気にせず、その人の問題解決力や人柄を見て評価すること。

「どうせ自分なんて」は、政治にも主体的に関わろうとするし、デイケアに行く時も遠慮なんかせず大威張りで行く。無力感を持たず自分を肯定するということ。

「病」は市に出せ、は、病と言っても病気に限らず、トラブルを隠して陰鬱とするんじゃなく、痩せ我慢をやめ、去勢を張らないこと。困った時に助けを求めることを恥ずかしいと思わない。どの町にだって助け合いはあるが、個々が悩みを開示しやすい環境づくりを心がけてきた。

「ゆるやかにつながる」、というのは、いろんなところでよく言われているけれど、この町は、日常的に生活面で協力しているわけではない。隣人間のコミュニケーションは、立ち話とか挨拶程度で、どちらかというとどっぷりした付き合いは少ない。「朋輩組」にしても出入り自由、ご近所付き合いが嫌ならしなければいい、けどまあ立ち話ぐらいはしますよ、という感じかな。

全体を通して、同調圧力をかけないし、かけられても潰されない、という気質が強いな、と感じます。
一方で、まちにサロンのような場所があちこちにあり、ちょっと弱音を吐いたりするようなこともできる。

世の中、同調圧力を受けるが弱音は吐けない、ということが多いです。

町とは言っても、僕らが手がける町は、行政単位のような大きなものではありませんが、そこで作られるコミュニティでも、過度な同調圧力は、生き心地を悪くしてしまうかもしれないな、と心に残りました。

とはいえ、もう一つ御法度が「説教」。なんか、自分のことを指摘されているような気になってきました。
でも、自分もそうだ、という人、多いのでは?
いい行動をしていれば人は寄ってくるから、同調圧力や説教をやめよう! やめられるかな…。

ともあれ、町の工務店ネットとしては、「いろんな工務店がいたほうがいい」と思っています。いてもいい、ではなくてね。