大河ドラマ館(の木)を見てきた

佐塚です。
浜松にオープンした大河ドラマ館を見てきました。正確には、大河ドラマ館に使われた木を見てきました。
私はテレビを見なくなって二十数年、大河ドラマに至っては、1983年の「徳川家康」が、おそらく見ていてあろう最新のお話です。
奇しくもまた徳川家康なわけですが、まあ、テレビの話はわかんないのでやめておきます。

地元の須山建設による設計施工。ZEB Readyだそうです。後ろに浜松城。

この大河ドラマ館、3月18日にグランドオープンしたばかりです。お目当ては家康でも松本潤(が出ていることぐらいは知っている)でもなく、使われている材。

東京オリンピックの選手村ビレッジプラザでは、63自治体から1300立米の木材が提供されていました。提供というより借受で、この材はオリンピック終了後に解体、自治体に戻して使う、というコンセプトのものです。

あまり公になっているかわかりませんので詳細は省きますが、浜松市の材が、オリンピックから戻ってきて、今度は大河ドラマ館に使われます、という状態のものを見せていただいたことがあります。その材が果たしてどうなったのか。

かつて、大坂夏の陣ののちに、徳川氏が大坂城の再建を西国大名に命じた、ということがありました。実際に、石垣をよく見てみると、出荷した大名の家紋が刻んであったりします。これだけの大きな石を、当時どうやって大坂まで運んだんだろう、と感心したものですが、要は、そういう大変なことを、かつて敵対していた大名に命ずることで、財政的に疲弊させたい、という思惑があったから、と言われています。
東京オリンピックの選手村は、そういう普請とは違うとは思いますが、各地から無償提供された材、ということと、徳川家康、ということで、ついついそんなことを想像してしまいました。

浜松市からは、約32立米の天竜材が提供され、このたび戻ってきたものが、大河ドラマ館にも用いられた、というわけです。オリンピックが1年伸びたので、戻ってくるのも遅くなったりということもあってか、なかなか大変だったようです。

現地を見てきました。
大河ドラマ館も、1年で解体される仮設です。本体は鉄骨造で、木質化に地元のスギ、ヒノキが使われています。オリンピックから戻ってきた材は、周辺の通路をおおう「木シェルター」なる箇所に使われているのが見られました。

浜松市がオリンピックに出していた材、とわかるショット。

外通路のシェルターにも使われています。

いつもいろんなことに文句を言う私ですから、両手放しで全部がいいことだとは言いませんが(そもそも、オリンピックがね…って言い出すとキリがない)、浜松市は林業都市でもあること、木は再利用が可能な資源である、といったことのアピールに繋がるのは良いことですね。