びおに「啓蟄・新たまねぎ」を書いた

佐塚です。
「びお」に、「啓蟄・新たまねぎ」のテキストを書きました。イラストは祖父江ヒロコさんです。

浜松の新たまねぎのことを通じて、おひさまのありがたみだとか、地域性だとかを書いたのですが、はからずも、昨日こちらのブログで書いた「固定種の野菜」のことにも触れています。

植物が太陽エネルギーを光合成して作り出したものを、動物や人間が食べているわけで、あらゆる食べ物は太陽エネルギーが凝縮されたもの、といってもいいでしょう。

薪だって、太陽エネルギーを溜め込んだ植物を燃料にするわけなので、太陽エネルギーの利用とも言えるし、もっと言えば石油や石炭だって元を正せば生物資源と考えると、地球上のさまざまなものが、太陽の恵みで成り立っている、と言えます。そういう観点で見ると、原子力というのは異質ですよね。

自然界とは、太陽エネルギーの奪い合いの世界で、大きく育つ植物はできるだけ上の方に陣地をとって太陽エネルギーを得ようとすると、横に伸びていくやつは、上には伸びられないから別の道で太陽エネルギーを探している。
農耕というのは、植物に太陽エネルギーをいかに効率よく吸収させるか、という行為でもあるわけです。

自然界だと、得られるエネルギーは割とすぐに使い果たしてしまうわけですが、農耕によってそれをいっぺんに貯めておくことができた。農業が原罪だって言われるのは、この「貯めておく」ことによって自然のバランスを崩したことにあるのかもしれません。

あるものをうまく使って、あまり貯め込まない、というのがサスティナブルだと思います。
それをいったら、私の腹についている使い道のない脂肪なんか、全く太陽エネルギーの無駄遣いでもあるわけで…。
というわけで、プール通いをすることにしました。貯めたものを無理に使うのも、無駄といえば無駄なんだけど、さて貯めたものが使い果たせるかどうか。