立春のコラムに窓のことを書いたわけ

町の工務店ネット佐塚です。
仲間の工務店のマクス・鈴木克彦さんが、1年365日ブログを書き続けたら人生変わった、と言われていて、何社かの仲間の工務店も同じくブログを毎日書き出しました。
なんていう話をあちこちでしているうちに、それでお前はどうなんだ、という圧をいただきまして、こうしてワタクシも遅ればせながらブログなるものをしたためることといたしました。

さて、スタートにあたり、一年の始まり、立春からとしました。
ちょうど同じ今日、「びお」で、祖父江ヒロコさんのイラストに合わせてコラムを書きました。これから二十四節気ごとに書いていきますので、そちらもよろしくどうぞ。

立春・メジロがやってくる - 祖父江ヒロコ / 佐塚昌則 | おひさまと二十四節気
祖父江ヒロコさんの絵にあわせて、二十四節気毎にコラムをお届けします。1年間、どうぞよしなに。

さて、びおには、立春がどうして一年の始まりなのか、ということと、窓の外からはいいものが入ってくるよ、ということを書きました。窓は、壁に比べて価格が高くて性能が低い外皮、というのは、その部分だけ見たら確かですが、他にいいところがいっぱいあることを、当たり前だけど忘れたくないからです。

「断熱性能の高い窓」の情報は、工務店業界には十分あふれています。それが本当に理解されているのかわかりませんが、ここで窓の性能のことをおさらいしても仕方ないので、違う視点から窓のことを綴りましょう。

『「窓」の思想史』(浜本隆史著/筑摩書房)にいくつか興味深い話がありました。
著者は建築の専門家ではなくヨーロッパ文化の研究者です。それ故、窓に対して、建築の一部位としての扱いではなく、その生活文化がどう表れているのかを解いています。結構強引じゃないかな、と思う箇所もなくはないのですが、読書は書かれている情報を受け取るだけの行為ではなくて、著者の思考と対話することだ、と思えば、途端に面白い体験に変わるのです。

鉋、鋸、日本刀、これらはみんな、切るときに引きます。
ナイフは押す動作で切ります。フォークも突き刺す。フェンシングや西洋の剣も、切るというより突く方に主眼が置かれています。

日本は引く、ヨーロッパは押す。

ドアや窓なんかも、日本は外開き(外から入る時には引く)、ヨーロッパは内開き(ホテルのドアなんかそうですね)。これは、一説には外敵が多いヨーロッパと、そうでない日本の違い、なんていわれたりします。

同書にもこの手のことは少し触れられているます、興味深いのはそこではありません。
ヨーロッパに多い回転式開口部に対して引き違い型が多いのは、かつてはヒンジを作る金属技術が未発達だった、ということもあるかもしれませんが、ヨーロッパ型の「回転文化」に対して、日本はそういう志向を持っていなかったからなのだ、と。バベルの塔しかし、数々の大聖堂しかり、螺旋階段で回転しながら上方へ向かう垂直志向に対し、日本建築はほとんど垂直方向には伸びてきませんでした(近年の平屋ブームは、この水平志向の名残りなのかもしれませんね)。

「飾り窓」とか「夜這い」などの、窓に関連した話は尽きないし、挙句本書は、PCのOSである「windows」にまで言及するのです。そして今多くの人が持ち歩く窓であるスマホ(本書は2011年の発行なので、スマホ、という表現はしていませんが)。

窓が、場面を切り取ったり、外とつながったり、という機能を持つとすれば、スマートフォンはやはりある種の「窓」なのかもしれない。
かように、窓とは外とのつながりのためのもの、という視点で見れば、住まいの窓も、外皮性能さえ高ければいい、というわけにもいくまい、などと思いを馳せるのです。